村井 弦斎

食道楽

緒言

小説なお食品のごとし。味佳なるも滋養分なきものあり、味淡なるも滋養分饒きものあり、余は常に後者を執りていささか世人に益せん事を想う。然れども小説中に料理法を点綴するはその一致せざること懐石料理に牛豚の肉を盛るごとし。厨人の労苦尋常に超えて口にするもの味を感ぜざるべし。ただ世間の食道楽者流酢豆腐を嗜み塩辛を嘗むるの物好あらばまた余が小説の新味を喜ぶものあらん。食物の滋養分は能くこれを消化して而て吸収せざれば人体の用を成さず。知らず余が小説よく読者に消化吸収せらるるや否や。

明治三十六年五月於小田原 弦斎識[#改丁]

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