北大路 魯山人
いなせな縞の初鰹
鎌倉を生きて出でけん初鰹 芭蕉
目には青葉山ほととぎすはつ鰹 素堂
初がつおが出だしたと聞いては、江戸っ子など、もう矢も楯もたまらずやりくり算段……、いや借金してまで、その生きのいいところをさっとおろして、なにはさておき、まず一杯という段取りに出ないではいられなかったらしく、未だに葉桜ごろの人の頭にピンと来るものがある。ところで初がつおというもの、いったいそんなにまで騒ぎたてられるゆえんはなにか。前掲の句の作者は元禄時代の人だから、その時代に江戸っ子が初がつおを珍重したのはうかがえるが、今日これは通用しない。
「鎌倉を生きて出でけん」と想像しつつ当年の江戸で歓迎された初がつおは、海路を三崎廻りで通ったものではあるまい。陸路を威勢よく走って運ばれたものであろうが、それにしても日本橋の魚河岸に着く時分は、もはや新鮮ではあり得なかったろう。それでも江戸っ子は狂喜して、それがために質まで置いたというから大したものだ。