中原 中也
芸術論覚え書
一、「これが手だ」と、「手」といふ名辞を口にする前に感じてゐる手、その手が深く感じられてゐればよい。
一、名辞が早く脳裡に浮ぶといふことは尠くも芸術家にとつては不幸だ。名辞が早く浮ぶといふことは、やはり「かせがねばならぬ」といふ、人間の二次的意識に属する。「かせがねばならぬ」といふ意識は芸術と永遠に交らない、つまり互ひに弾き合ふ所のことだ。
一、そんなわけから努力が直接詩人を豊富にするとは云へない。而も直接豊富にしないから詩人は努力すべきでないとも云へぬ。が、「かせがねばならぬ」といふ意識に初まる努力は寧ろ害であらう。
一、知れよ、面白いから笑ふので、笑ふので面白いのではない。面白い所では人は寧ろニガムシつぶしたやうな表情をする。やがてにつこりするのだが、ニガムシつぶしてゐる所が芸術世界で、笑ふ所はもう生活世界だと云へる。