永井 荷風
虫干
毎年一度の虫干の日ほど、なつかしいものはない。
家中で一番広い客座敷の縁先には、亡つた人達の小袖や、年寄つた母上の若い時分の長襦袢などが、幾枚となくつり下げられ、其のかげになつて薄暗く妙に涼しい座敷の畳の上には歩く隙間もないほどに、古い蔵書や書画帖などが並べられる。
色のさめた古い衣裳の仕立方と、紋の大きさ、縞柄、染模様などは、鋭い樟脳の匂ひと共に、自分に取つては年毎にいよ/\なつかしく、過ぎ去つた時代の風俗と流行とを語つて聞せる。古い蔵書のさま/″\な種類は、其の折々の自分の趣味思想によつて、自分の家にもこんな面白いものがあつたのかと、忘れてゐた自分の眼を驚かす。
近頃になつて父が頻と買込まれる支那や朝鮮の珍本は、自分の趣味知識とは余りに懸隔が烈し過ぎる。古い英語の経済学や万国史はさして珍しくもない。今年の虫干の昼過ぎ、一番自分の眼を驚かし喜ばしたものは、明治初年の頃に出版された草双紙や綿絵や又は漢文体の雑書であつた。