服部 之総

尊攘戦略史

一

スローガン「尊王攘夷」はなにも最初から討幕を内容としたものではなかった。反対に、本来のそれは、幕権のためにする名実ともに「天下副将軍」的なスローガンとして生れたものである。

近世史上の尊王論そのものが、やはりそうで、徳川時代の尊王論の先駆者たち蕃山、闇斎、素行、そして水戸学の始祖光圀らが、時を同じうして四代五代将軍時代に輩出したのも偶然ではない。幕府の基礎はすでに定まって、いわば荘厳工事だけが残された任務だった。特に五代綱吉から八代吉宗にいたる間は、将軍の自発性にもとづく京幕融和は間然するところがなく、尊王と幕府安泰とは背馳するどころでなく見えた。蕃山らがはじめ大藩に厚遇されて晩年不遇におちたのも、むしろ幕儒林家の嫉視によるので、それも彼の学説が大藩に迎えられたためでなくたまたま当年の浪人に――丸橋忠弥がそう自白したと伝えられる――信奉されたという理由から奏功したといわれている。

九代十代にわたるいわゆる田沼時代は、都市の商業および高利貸資本が台所口で武家支配を抑えるようになった背後の時代的転換を――同時に、内地商業の国民的統一への軌道を――告示した時代だったが、京幕融和も廃り、ようやくラディカルな尊王思想が、反批判として定立された。竹内式部、山県大弐。カムフラージュされた形で賀茂真淵、本居宣長以下の国学派がそれである。しかし、幕末政局を貫流した中心スローガン「尊王攘夷」は、これら国学派尊王論に由来しないで、水戸斉昭に主唱された。

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