喜田 貞吉
震災後記
九月一日来の関東の大震については、自分の親しく見聞関知したところをいささか書きとめて、その混乱の最も烈しかった六日までの分を「震災日誌」と題して『社会史研究』拾壱月号〔(第一〇巻第三号)〕に掲載したのであったが、七日以後にもかなりひどい余震が繰り返され、世間はそわそわとして震災気分は相変らず濃厚だ。崩壊した古土蔵の土塊のために荒らされた書斎その他はまだもとのままで、事実学窓は閉塞の有様だ。この有様がいつまで続くか見当がつかぬ。すなわちここに爾後なお数日間の記事を「学窓日誌」から切り離して「震災後記」と題し、別に収めて後の記念とする。
九月七日(金)
今日から東京で市内電車の一部が始めて動き出した。宅の附近では大塚終点から春日町まで、わずか九停留場の間だけだが、それでもどれだけ通行人が便利を得るか知れぬ。しかし罹災者を無料で乗せるというので、罹災者ならぬ有象無象までがそれにお相伴して、車掌台はもとより、窓の外側まで透き間なし鈴なりの乗客だ。いな、ぶら下り客で一ぱいだ。とても自分らごとき気の弱いものには乗れそうもない。相変らず昔慣れた自転車が役に立つ。
午後から水道の水が出だした。もっとも低い場所だけらしいが、どんなに嬉しく思ったか知れぬ。初めから水道のない国だったら、この嬉しさは味わえず、またこんなに不自由をしなかったのだ。