永井 隆

長崎の鐘

その直前

昭和二十年八月九日の太陽が、いつものとおり平凡に金比羅山から顔を出し、美しい浦上は、その最後の朝を迎えたのであった。川沿いの平地を埋める各種兵器工場の煙突は白煙を吐き、街道をはさむ商店街のいらかは紫の浪とつらなり、丘の住宅地は家族のまどいを知らす朝餉の煙を上げ、山腹の段々畑はよく茂った藷の上に露をかがやかせている。東洋一の天主堂では、白いベールをかむった信者の群が、人の世の罪を懺悔していた。

長崎医科大学は今日も八時からきちんと講義を始めた。国民義勇軍の命令の、かつ戦いかつ学ぶという方針のもとに、どの学級も研究室も病舎も、それぞれ専門の任務をもった医療救護隊に改編され、防空服に身を固め、救護材料を腰につけた職員、学徒が、講義に、研究に、治療に従事しているのだった。いざという時にはすぐさま配置について空襲傷者の収容に当たることになっており、事実これまで何回もそうした経験がある。ことに、つい一週間まえ大学が被爆した時など、学生には三名の即死、十数名の負傷者を出したけれども、学生、看護婦の勇敢な活動によって、入院・外来患者には一人の犠牲者も出さなかったほどである。この大学はもう戦になれていた。

警戒警報が鳴りわたった。病院の大廊下へ講堂から学生の群が流れだし、幾組かのかたまりになってそれぞれの持ち場へ散っていった。本部伝令がいちはやくメガホンで情報を叫びながら廊下を走り去った。相変わらず今日も南九州に大規模な空襲があるらしい。引きつづいて空襲警報が鳴りだした。空を仰ぐと澄みきった朝空にちかちか目を射る高層雲が光り、どうやら敵機の来そうな気配がする。目に見えぬ音波がうす気味わ

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