斎藤 茂吉
筆
『書』のことになると、中華の人々は昔から偉い。シンの王右軍一人の存在だって、もはや沢山だといふ気持がするのに、ぞくぞくとその後に偉い人が出て居る。しかし私は書のことは分からずにしまつた。蘭亭序だつて、右軍がどの程度に偉いのか、つひに分からずにしまつた。そこで、私は書のことなどは論じられない。
私はある年、中国の北平に遊び、ルリシヤンといふ所を散歩した。そこには、賀蓮青だとか、戴月軒だとかいふ筆匠があつて、日本人の旅人がよく土産に筆を買つたものだ。いはゆる日本人向きの筆匠で、いくらか和臭を帯びたものだつたやうである。
しかるに私はある日そこの路地の古ぼけた店で、一本の小さい羊毫筆を手に入れた。それを商つて居る翁は、ケンリユウの世の物だと云つた。
ヨウロツパを旅した人は、スイスのチユリヒあたりの時計店に貼紙があり、日本語で、『日本の皆様には割引します』と書いたのが見あたつたものである。その時計に和臭があつたかどうか不明であるが、ルリシヤンの筆匠のは、幾分和臭があつたやうである。