丘 浅次郎

固形の論理

一

我らは先年ベルグソン(Henri Bergson)の「創造的進化」(L'※(アキュートアクセント付きE小文字)volution cr※(アキュートアクセント付きE小文字)atrice)と云ふ書物を読んだ時に一つ気に入つた言葉を見付けた。それは序文の第一頁にある「固形の論理」(la logique des solides)と云ふ言葉である。ベルグソンは之に就いて次の如くに云うて居る。我等人間の論理は固形を基とした論理である故、幾何学に於ては成功するが、生物界に持つて行くと忽ち差支へる。幾何学では、論理を唯一の道具として考へれば、何所までも間違ひでなく、之を応用した器械は必ず理論の通りに動くが、絶えず進化し変じつゝある生物の方に当て嵌めやうとすると直に頓挫する。一とか多とか、原因、結果とか云ふ如き、総べての考への源となるべきことさへ、中々、生物には、うまく適せぬ。即ち生物には個体の境が判然せず、一疋とも数疋とも断言し難いものが幾らも有る。また、生物の身体が多くの細胞から成り立つて居ることは目の前に見えて居ても、細胞が集まつて身体を成したのやら、身体が分れて細胞と成つたのやら、何れが何れか明言は出来ぬ。以上はベルグソンの書いた文句を忠実に翻訳した訳ではないが、大体の意味は先づ斯くの如くである。

凡そ書物を読んで愉快を感じるのは色々の場合があるが、自分が漠然と脳中に考へながら未だ明な文句に形造らずに居たことが、巧な言葉で面白く云ひ現はされて居るのを読んだときは特に愉快である。書物を読んで楽しむと云ふ中には、書物を通じて自分の考へを楽しむ場合が誰にも多からうと推察する。我らが「固形の

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