スティーブンソン ロバート・ルイス

医師と旅行鞄の話

サイラス・キュー・スカダモーア氏は、單純な、惡氣のない、若い亞米利加人だつた。この男の生れた新英蘭は、同じ新世界のうちでも、特にさういふ性質が缺けてゐると言はれてゐる地方なので、その點が一層彼の信用を増すもととなつてゐた。この男は非常な金持だつたが、自分の小遣と云へば、いつも克明に小さな紙製の手帳につけてゐた。そして羅甸區の所謂家具附ホテルの七階から、巴里の人氣場所などをあれかこれかと調べて樂しみにしてゐた。彼の吝嗇は大方習慣から來てゐた。そして仲間の間で特に有名になつてゐるこの男の長所は、主として遠慮深いといふ事と、年がまだ若いといふことであつた。

彼の部屋の隣りには一人の婦人が住んでゐた。この婦人の態度にはひどく人を惹きつけるところがあつて、またその身だしなみは極めて上品だつたので、彼が初めてこゝに來た時には、これは伯爵夫人に相違ないと思つた程だつた。だがそのうちに、この婦人がその名をゼフィリーン夫人と呼ばれてゐる事や、この世の中にどんな身分を占めてゐるのか知らないが、肩書などのある人ではないといふことが解つて來た。ゼフィリーン夫人は、大方この若い亞米利加人を迷はせて見たいとでも思つてか、階段で出會つた折などは、丁寧に腰を屈めたり、勿論言葉をかけたり、その黒い眼で相手を惱殺するやうに眺めたりして、これ見よがしに男のそばを通つて、それから衣ずれの音をさら/\ときかせて、見事な脚と足首とを見せて、やがてその姿を消すのが常であつた。だがこんな誘ひの手も、スカダモーア氏の心をそゝり立てるどころか、却つてその勇氣を沮喪させて、益※(二の字点、1-2-22)しり込みをさせるばかりであつ

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