スティーブンソン ロバート・ルイス
帽子箱の話
十六歳まではある私立の學校で、それから後は英吉利がそのために有名になつてゐるある大きな學園の一つで、ハリー・ハートリー氏は、紳士としての普通の教育を受けた。その頃彼はもう勉強が厭でたまらなくなつてゐた樣子だつた。そして彼のたゞ一人の生き殘つてゐる親は、からだも弱く、頭もなかつたので、その後はつまらぬ、上品な遊藝の修業などに暇をつぶしても、別に故障を言ふものもなかつた。それから二年の後に彼は孤兒になつて、殆ど乞食のやうな身の上となつてしまつた。といふのは、彼は總ての活動的な勤勉を要する仕事には、その天性からいつても、自分の受けた教育からいつても、等しく不適當であつた。彼は情熱的な小唄などが歌へて、またピアノの伴奏なども相應に出來た。臆病ではあるが、上品な優男であつた。將棋に強い趣味を持つてゐた。そして生れつき、人の心を惹きつけるやうな容貌を惠まれてこの世の中に出て來たのであつた。髮の毛は紅く、顏は桃色で、眼は鳩のやうに優しく、いつも温やかな微笑を浮べてゐた。何となく氣持の好い優しさと、哀れつぽい樣子をしてゐて、ひどく柔順なそして慕ひ寄るやうな態度を持つてゐた。だが何れにしても、軍隊を指揮したり、閣議を董督したりする人物ではなかつた。
ハリーがかういふ悲慘な境遇に陷つた時、都合のよい機會と、ある傳手とで、バス勳章第三等陸軍少將トマス・ヴァンデラー卿の秘書役の地位を得る事になつた。トマス卿は六十ばかりになる、聲の高い、騷々しい、横柄な態度の人であつた。ある理由があつて、即ち度々内密に頼まれたが、その都度ことわつてゐたやうな事を、結局叶へさせてやつたといふやうな功勞のために、トルキスタ