チェーホフ アントン

かき

小雨もよいの、ある秋の夕暮れだった。(ぼくは、あのときのことをはっきりおぼえている。)

ぼくは、父につれられて、人の行き来のはげしい、モスクワの、とある大通りにたたずんでいるうちに、なんだかだんだん妙に、気分がわるくなってきた。べつにどこも痛まないくせに、へんに足ががくがくして、言葉がのどもとにつかえ、頭がぐったり横にかたむく。……このぶんだと、今にもぶったおれて、気をうしなってしまいそうなのだ。

このまま入院さわぎにでもなったとしたら、きっと病院の先生たちは、ぼくのかけ札に、≪腹ぺこ≫という病気の名を書き入れたにちがいない。――もっともこれは、お医者さんの教科書にはのっていない病気なのだけれど。

歩道の上には、ぼくと並んで父が立っている。父は着古した夏外套をはおって、白っぽい綿がはみだした毛の帽子をかぶっている。足には、だぶだぶな重いオーバーシューズをはいている。父は、もともと、見えぼうな性分だから、素足の上にじかにオーバーシューズをはいているのをよその人に見られるのが気になるらしく、古い皮きゃはんをすねの上までぐっと引っぱりあげた。

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