伊庭 心猿

九月朔日

市電は、三筋町で二三人おろすと、相變らず單調な音をきしらせ、東に向つてのろのろと進んだ。なまぬるい風、灼けつくやうな舗道のてりかえし。――その時である。まだ停留所までだいぶあるのに、車體が左右に大きく横搖れして、急に停つた。

乘客は、いつせいに窓の外をみた、いちめんの土煙だ。兩側の家が、屋根瓦をとばし、壁をくづし、柱をねぢまげ、前につんのめつた。黒塗の土藏が、一ト搖れしたかと思ふとみるまに赭土色の殘骸となつた。ほんの一刹那の異變だつた。

と、隣にかけてゐた老婆が、急に大きな聲でお題目を唱へだした。それが、三人、五人と車内の人々に感染して、つひに南無妙法蓮華經の大コーラスになつた。みんな眞劍な顏だ。――これも、まつたく一瞬の出來事だつた。

その九月一日の午まへのひとゝきが、まためぐつて來る、三十三年囘目の。あのとき小倉の袴に朴齒の畫學生はいま、去年も今年も、三圍祠畔の句碑の苔を掃ふことのできない身を嘆いてゐる。病床で迎へる二度目の秋である。

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