小川 未明
机前に空しく過ぐ
私は、机の前に坐っているうちに、いつしか年をとってしまいました。床屋が、他人の頭の格好を気にしながら、鋏をカチ/\やっているうちに、自分の青年時代が去り、いつしか、その頭髪が白くなって、腰の曲った時が至る如く、また、靴匠が仕事場に坐って、他人の靴を修繕したり、足の大きさなどを計っているうちに、いつしか、自分の指頭に皺が寄り、眼が霞んでくるように、私の青春も去ってしまえば、また、やがてその壮年期も去らんとしているのであります。
年というものを忘れてしまいたい。毎日、新しく生れ変ったような気持になって自然に接して見たい。今となっては、こうも思って、自分のやゝもすれば、沈み勝な気持を引立てたいとしますけれど、東洋流の思想が、子供の時分から頭にはいっている私達には、人生五十年というような言葉がいまでも思い出されることがあるのです。時勢が積極的となり、事実また、ほんとうに、社会のためにも働いているような人々が、五十以上の人にも多いのを知ると、昔の人の言った、この厭世的な見解は誤っていたということを知るのであります。そして、自分も、これからだと思い、また、真剣に、しなければならぬと考えます。
しかし、私は、四十の坂を越しました。自分は、常の如く、机の前に坐って、毎日同じようにペンを採っているうちに、いつしか、ひとりでに年を取ってしまったのでした。とは、いうもの、この間、街頭の響きから、人間との接触から、そこに感じられた複雑な人生の幾多の変遷と推移が、文壇の上にも、もしくは、他の社会の上にもあったことを考え出さずにはいられません。私自身にとっても、憧憬、煩悶、反抗、懐疑、信仰、いろ/\と、心