小川 未明
新童話論
月の中で兎が餅を搗いているというお伽噺も、それが以前であったら、何等不自然な感じを抱かせずに子供達の頭にはいったであろうが、いまの小学校へ行っている者に、月を指して、あの中に兎が棲んでいるといったら、たといそれがお話であろうと、かく空想することに却て骨が折れるかもしれない。それは、彼等にとってあまり不自然な事柄にきこえるからです。
それであるからといって、この頃の子供達に、著るしく詩的空想が欠乏したという理由にはならないのであります。なぜなれば、もし彼等に月の世界がどういうところだかということを話したら、熱心になってその話をきくばかりでなく「どんな生物がそこに棲み、そして、昔はやはり人間が住んでいたのだろうか。昼は熱く夜は寒いというが、ロケットに乗って行って見ることができたら、どんなだろう……」と、さまざまに空想を逞うするにちがいないからです。
これを要するに、兎が餅を搗いているといった時代の子供の知識はその生活状態と調和していたがために、何等不自然を感ずることなく、その話の中に引入れられたのであるが、いまの子供達の知識はかゝる現実に根拠を有しない空想を拒否するがために他ありません。そして、彼等は、遊びの上にも、娯楽の上にも、知識との調和を求めています。それは極めて自然なことであります。
空想はいかに自由であるといっても、現実に立脚するものです。北方の土地に生れた子供達には、南国の自然や、生活は、たとい書物で見たり、話できいたりしても、真に分るものではないのです。そして、それを幾何でも分るようにするには、芸術の力を借りなければならない。