吉川 英治

私本太平記

天下多事

いわば五月は革命月だった。誌すべきことが余りに多い。――で、鎌倉をしばらく措く。――そしてここはまだ天下混沌といっていいところだが、奕々と天の一方からは、理想の到達に誇ッた凱歌のあしおとが近づいて来つつあった。――都門還幸の後醍醐の龍駕であった。

路次の日誌によれば。

さきに伯耆の船上山を立たれた帝の瑶輿(こし)は日をかさねて、二十七日、播磨の書写山まで御着。

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