牧野 信一

足袋のこと

僕は、これで、白足袋といふものは、未だ嘗てはいたことはないんだぜ――。

久保田氏は、往来に出ると、さういふ意味のことを、もつと歯切れのいゝ言葉で、だがいかにも何らかの弁明らしくティミッドな調子で、突然ポンと云つた。さう云はれたので初めて私が久保田氏の足もとに眼を注ぐと、そこにはちやんと雪白の足袋を着用した足が性急に運ばれてゐるのである。私はもう少しで「ぢや、それはどうしたの?」と訊き返すところだつた。此方は、大の迂闊者である。にも関はらず万太郎氏は、此方の眼識を重んじて(?)往々それに類する正直な弁明を発しては、此方をぽかんとさせる人だ。

「途中で紺足袋を買つてはき換へるつもりさ。どうしてこの儘芝居へなんて行けるものか!」

「なるほど。」と私は点頭いた。「足袋が気になつて、批評が反れては困るだらう。」

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