牧野 信一
思ひ出した事(松竹座)
芝居を見るのは、何年振りのことだ。然も自ら切符を買ふこともせず、加けに文章を書く目的で芝居へ来るなんて、まつたく始めての経験だ。
だから私は、眼を皿のやうにして、凝つと「芝居」を見たことだつた。行儀の悪い私はあんなにジツとして芝居を見た覚えは皆無のことだ。何だか私自身が、突然役者になつて無理矢理に舞台の上におし出されたやうな感もした。誇張して云へば――。
さういふ私だつたから、その私の芝居、見方はたしかに遠慮深く、寧ろ愚かしい謙遜に囚はれてゐたに相違ない。――だが不幸なことには芝居は面白くなかつた。何としても面白くなかつた。馬鹿/\しくて仕様がなかつた。この次の幕は? この次の幕は? さう思ひながら私は昼から到々夜の部の大詰まで見通してしまつた。
あまり面白くないので、その熱心な観劇の途中で、不図私は斯んな気を起した。――