牧野 信一

松竹座を見て(延若のこと)

実川延若といふ役者を、自分は初めて見たのである。本物の芝居はそんなに見ないが田舎に居る時分でも新演芸などの芝居雑誌は古くから見てゐるので、あまり見つけない役者でもそんなに始めて見るやうな気のしない自分だつた。

実川延若もその一人に相違ないのだ。写真で見てゐた延若は、自分はにくにくしかつた。いつだつたか忘れたがたしか新演芸だつたか、他の雑誌だつたかに役者の趣味といふ見出しの許に、いろいろの役者の談を集めたものが有つたと思ふ。それを見ると大抵の役者は、画だとか道具だとか写真だとかそんな風なものを挙げてゐるうちで、彼の延若は「女」だと高言してゐたのを覚えてゐる。それを読んで自分は一寸顔を顰めた。

顰めはしたものゝ、他の記事と違つてその延若の言葉には何か力がこもつてゐて、つまり、当時ニキビ青年であつた自分の胸を突いたに違ひない。今でも斯うして覚えてゐる位ゐなんだから。

「俺は役者は嫌ひだ。角力の方が好きだ。」

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