牧野 信一

私の万年筆

西暦一九〇三年の?月――日露の講和会議が米のポーツマスに開催されると決定された数ヶ月前に、一人の日本学生が、急にホワイトハウスの何課かに雇入れられました。その青年は何も学術に秀れてゐたからとかといふ理由ではなく、近くのカレツヂに籍を置く、たつたひとりの日本人といふだけの資格で、臨時雇ひの栄を蒙つたのです。彼の仕事といふのは官邸の下級吏員から日本の風俗や習慣に就いて質問を享けた場合に、それに就いて知る範囲の常識を披瀝し、また随時彼等にイロハを教授することでありました。幸ひ青年は当時そのカレツヂのラグビー・チームのレギユラアでしたので、吏員達の間にも「あの豪快な日本学生」といふ特徴を知られてゐて殊の他その姓名が謳はれてゐた折からでしたので臨時吏員生活も仲々羽振りが好く、女学生の訪問などを享けて得意でした。

或る静かな夕暮時に、屋上の星条旗の翻る音がはた/\と聞えるかのやうな長閑な芝生の隅で青年は故国の草葺の屋根からの便りを展いてゐました。いつの間にか彼の背後にひとりの鼻眼鏡の立派な体格の紳士が立つて、青年の膝の上に展かれてゐる「奉天の会戦」や「旅順の夜襲」や「日本海大海戦」の花々しい図画を認めて、

「実にも愛国の熱情の充ち溢れた素晴しい図画だね。」と呟きました。

「はい!」と青年は直立して答へました。「故国の長男の作成に依つた図画であります。」

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