牧野 信一

美智子と歯痛

美智子は、朝から齲歯が痛んで、とう/\朝御飯も喰べませんでした。眼に触れるものが悉く疳癪にさわりました。焦れツたくて/\堪りませんでした。家ぢうを大声あげて、出来るだけの速さで駆け回つても、まだ飽き足りないやうな気がします。鐘をグワン/\と打ち叩くやうに、或ひは歯のなかへ太い釘を叩き込むやうに――その響がビンビンと脳髄にしみ渡ります。

「あゝ。」と云つて美智子は、頬を押さへて太い溜息を洩らしました。頬が行火のやうに熱くほてつてゐました。たゞでさへ赤い頬が、それこそ林檎のやうに見事にふくれて、鏡で見た時自分ながら思はずフツと笑ひ出すところでしたが、笑ふどころではありません。直ぐに涙が眼に溢れてポタポタとこぼれて来ました。

その癖、美智子はどうしても歯医者へ行く決心がつきません。美智子は、大へん臆病なのです。若し歯医者に行つてから、

「これはどうしても抜かなければ駄目です。」と云はれはしまいか? その時になつて、抜くのは痛いから嫌だと云へば、歯医者が笑ふだらうし、と云つてあのエンマ様の釘抜きのやうなもので、自分は痛くないのだから平気だといふやうに白々しい顔付で、ギウ/\引ツ張られたら、とても堪らない――。

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