柳田 国男

木綿以前の事

自序

女と俳諧、この二つは何の関係も無いもののように、今までは考えられておりました。しかし古くから日本に伝わっている文学の中で、是ほど自由にまたさまざまの女性を、観察し描写し且つ同情したものは他にありません。女を問題とせぬ物語というものは昔も今も、捜して見出すほどしか無いといわれておりますが、それはみな一流の佳人と才子、または少なくとも選抜せられた或る男女の仲らいを叙べたものでありました。これに反して俳諧は、なんでもない只の人、極度に平凡に活きている家刀自、もっと進んでは乞食、盗人の妻までを、俳諧であるが故に考えてみようとしているのであります。歴史には尼将軍、淀の方という類の婦人が、稀々には出て働いておりまして、国の幸福がこれによって左右せられたこともありますが、こういう人たちをわが仲間のうちと考えて、歴史に興味を抱くようになった女性の、少なかったのはまことに已むを得ません。振り回って後姿を眺めようとするような心持が、女と歴史とのすれちがいには起こらなかったのであります。有りとあらゆる前代の人の身の上は、小説の中にすらも皆は伝わっておりません。それを俳諧だけが残りなく、見渡し採り上げて咏歎しようとしていたのであります。女は通例自分たちの事を噂せられるのを、知らずに過ぎるということはないものですが、奇妙に俳諧だけは冷淡視していました。その原因は御承知のごとく、俳諧というものが連歌の法式を受け継いで、初めの表の六句ではなるべく女性を問題とせず、特に恋愛は取扱わぬことにしていまして、そうして今日俳諧として鑑賞せられているのが、そのまた第一の句だけであったからであります。店先にはまじめ

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