室生 犀星

われはうたえども やぶれかぶれ

詩を書くのにも一々平常からメモをとっている。メモの紙切れをくりながらその何行かをあわせようとすると、それがばらばらになって粘りがなくなりどうしてもくっ附かない、てんで書く気が動かないで嘔気めいた厭気までがして来る。こんな筈がないと紙切れを読みなおしている間に、頭に少しもなみが打って来ないで只のふろしきを展げたように、ぼやぼやと、よりどころがない、やはりだめだ、机の上を片づけながら臥てしまう。この六十日くらいの間なにも書いていないで、只、うつらうつらと寝るにまかしていた。書くしょうばいをしている奴が書くことが出来なくなると、一行もはたらかなくなってしまう。病いの重さもそうだが、頭がかすかすになって水分も油気もなくなるのだ、例のふろしきのような奴が夜昼なしにふうわりと冠っていた。私はその下にいた。ああいう詩がつづり合せられなくなるということは余程のことだ、出来ている行と行とを合せてゆけばよいだけなのに、口から、はあはあと大息を吐いてまいってしまう。これは余程のことだ。

日が暮れ夜も九時になることが怖い。遅鈍な尿意がもよおしてそのために一時間か一時間半ごとに、起きてはばかりに行かねばならなくなる。それも尿意の放出があればいいのだが、つんぼのように悲しい閉尿の待ちぶせに合うのだ。なんとしても出ないのだ、出てもわずかばかりのしずくしか出ないのである。それでもよろこびとしなければならぬ。他人を騙すように私はいまおしっこなぞしたくないのだと呟く、おしっこがしたい奴はべつに庭の中をうろついていて、犬のように昨日自分でしたところに跼んで、山に穴のあくほど咳をしているあいつのことをいうのだ。此処に

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