萩原 朔太郎

花あやめ

皐月あやめさくころ。思ふどち二人三人かいつらねて、堀切の里にいきけり。「むさしや」といふ家のはなれを借りて根合せならねど、あやめの歌合といふを試みけり。

あやめは、池のこのもかのもに咲き誇れり。池には舟板橋を渡せり。人人袖ふりあひてゆきちがふ。一しきり風立ちて、えならぬ薫はおばしま近く通ひつ。

北の屋蔭の苔むしたる井筒に、新調の洋服涼しげなる若人二人、巴里形の麥藁帽子見よげにかぶりて、細き櫻のステツキを手すさびに振り上げ、花もまだきなる紫陽花の葉を叩きつ、あやめを隔ててこなた、うちまもり給へるなりけり。これを見て、梅津の君は、あやめも知らぬ戀人は、このわたりにはあらじかし。と忍びやかにうち出でさせ給へるに、言の葉なくて、玉枝の君はうち笑みおはしぬ。南の窓は田園の遙けきながめにて、垣根に近き駒紫蘇の花、今ぞ日光をうけて、くれなゐの色滴らむばかりなる。

隣の座敷は殿方ばかりにて、ビール又は正宗の空壜を作るによねんなし。下樣の繩暖簾とはことかはりて、醉うても聞き苦しきいさかひはなけれど、苟めの物語も高聲になり、默してやみなんことも笑ひさざめき、座中自ら春を生ずる自らはよけれど、他人の閑を破るはにくし。さはいへ、禍を隣人に及ぼすといふにもあらず。下田先生の所謂、女徳のなよよかなるいはれにて、宥さばゆるせよかし。

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