津田 左右吉

日本精神について

「日本精神」という語が何時から世に現われたのか、確かには知らぬが、それがひどく流行したのは最近のことのようであり、いわゆる「非常時」の声に伴って急激に弘まったものらしく思われる。断えず高い調子で叫ばれ、何となく物々しいところがあるのみならず、いいようにより聞きようによっては一種の重苦しい抑圧的のひびきさえも感ぜられるのは、この故であろう。平安朝の昔にいわれた「やまとごころ」または「やまとだましい」は別としても、徳川時代の国学者の歌った「しきしまのやまとごころ」には勿論のこと、明治二十年代に唱えられた「国粋」にも、その後いろいろの形で時々に現われた「日本主義」の語にも、これはなかったことである。語気の強い点では、幕末のいわゆる志士がともすれば口にした場合の「大和魂」に幾らかの似よりがあるが、それはもとより一定の意図を有っての宣伝なり運動なりではなかった。しかし、この語が、かかる状態で世に喧伝せられているに拘わらず、それが何を指しているかは、実は明かに示されていないといってもよい。人々は各々その好むところに従って任意にこの語を用いているようであり、従ってその間には往々齟齬し矛盾するところさえもありげに見える。あるいは初めに唱え出された時の意義と、後になって広く用いられるようになった場合のとの間に、いくらかの変化があったかも知れぬ。これは流行語には通有な状態でもあるが、特にこの語について考えると、それには種々の理由があろう。それを知るには、この語の唱え出されたのがどの方面からであるか、その動機がどこにあったか、如何にこの語が世に迎えられ、如何なる状態で世にひろがったか、ということを考

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