柳田 国男
こども風土記
小序
子どもとそのお母さんたちとに、ともどもに読めるものをという、朝日の企てに動かされたのであったが、私にはもうそういう註文に合うような文章を書くことができなくなっているらしい。「こども風土記」が新聞に連載せられている間、面白く読んでいるよと言って励ましてくれた人は多かったが、それはたいていは年をとった仲間だけであった。近所のまたは親しい少年少女の中には、気をつけていたけれども、読んでいる者ははなはだ少なかった。
うれしかったのは友人の一人が、うちではいつのまにか朝日が切り抜いてある。子どもが読んでから帳面に貼るそうだと、告げてくれたことである。九州の或る町からは、お清書のような字を葉書に書いて、鹿の角の遊びを知らせて来た少女がある。母が柳田さんにお知らせするとよいと言いましたからとあるのを見て、是だけは少なくとも予定の読者であったことがわかった。小学生の通信は、この以外には二つ三つしか受取っていないが、それでも東京・大阪の都会へ出て働いている人で、ほんの四、五年前の子どもかと思われる人たちから、あどけない感激の手紙は幾つか来ている。始めて親に離れ故郷に別れて、人中の生活をする者の胸のうちには、或いはもう一度「子ども」の感じが蘇って来るのではあるまいか。もしそうだとすると、強いて現在の子どもと母ばかりを追うてあるくにも及ぶまいかと思う。一つの新しい経験は、横浜近くに住む或る一人の女性から、こういう意味のことを私へ言って来られた。自分は亡夫が外国にいた留守の間、二児を連れて伊予の松山に住んでいたが、鹿々何本の遊びは毎日のように子どもが窓の外へ来て遊んだのでよく知っている。ただそれ