丘 浅次郎
人間生活の矛盾
一
今日の世の中ほど人間のすることが互いに矛盾した時代はかつてあったであろうか。新聞紙は世間を写す鏡であるというが、日々の新聞に出て来る記事を比べて見ると、実に相矛盾することばかりである。賭博の最中へ警官が踏み込んで数名を捕えたという記事に並んで、十円の債券で千円の割増金をかち得た仕合せ者の肖像が出ている。わずか十円の才覚ができぬために母子三人が水に飛び込んだという項の隣りに、何とかの茶碗が一万円で売れたと書いてある。一方で支那の有名な小説を忠実に翻訳すると、他方では風俗を害するからというてその発売を差し止める、兵式の教師が国防の忽にすべからざることを説くと、学生らは国際精神に反するというてこれを排斥する。ダンスがはやれば、剣舞で驚かし、祭りの寄附金を出さぬと御輿で店先を毀す。数え上げたら際限がないほどに人間社会は矛盾で満ちているが、さて、一体これは何故であるか。かような世の中へ生れて来て初めから世の中はかようなものと思うている人々には何の不思議でもないかも知れぬが、少しく生物学でも修めて、他の社会生活を営む動物の生活状態を見聞した者にとっては、これは確かに大いなる疑問である。
私はこの問題を解くために、いろいろと考えた結果、すでに二十年ほど前に一つの学説を思い付いた。その要点を掻摘んでいえば、次のごとくである。人間は原始時代には皆、今日の野蛮人や多くの猿類のごとくに小さな団体を造って相戦うていた。優った団体が勝って栄え、劣った団体が敗けて亡びることが絶えず繰り返されている間には、自然淘汰の結果として、社会本能や階級本能のような人間の団体生活に必要な本能が次第に発達した。ここに