知里 真志保
金成マツとユーカラ
叔母とは2年近く会ってなかった。なにしろ高齢なので老衰が著しく、私がテープレコーダーなどを持参してユーカラの採録に行っても、朗唱に重複が多くて資料になりがたい状態であった。彼女の脳裏に刻みこまれていたユーカラのすべてが記録は留められているわけではなく、今となっては永久に不可能ということになったわけだが、私は私なりに、学問上の損失は少ないと思っている。ぼう大な量のユーカラ伝承者としての金成マツは、その頭脳の老化の故に、既に数年も前から、そう、無形文化財表彰以前に、学問的な重要性を失っていたのである。
金成マツが伝承してくれたユーカラの量は、決して少ないものではない。実際に朗唱する場合には、抑揚のある節まわしを伴うせいもあるが、かなりの長時間を必要とするものであり、通常夕食を終えてからイロリを囲んで始まり、何回かの休憩をとりながら翌日の昼を越すまで続けられることでも、その分量の想像がつくだろうが、それを正確に伝えることができたのは何故であったろうか。
金成マツは幸か不幸か幼少から足が悪く生活の大半を屋内で過ごさねばならなかった。その家庭は裕福で、血統も良かった。当時(明治10年)伝道のため来道したバチェラー博士の開いた愛隣学校が全道から俊秀を選んだ時、まっ先に入学できたことでもわかるように利発な女性でもあった。祖先に対する誇り、ひとつことに沈潜し易い生活環境、それに当時としては、かなり高度な教育がユーカラ伝承者としての彼女を形成したものと私は考える。もっとも単なる伝承者としては彼女の母、私には祖母にあたる金成モナシノウクのほうが上であったように思われるのだが、今日の研究には、何とい