徳永 保之助
洪水のように
ふいご、初めの日は面白くてたまらぬ、ぶうぶうと、少年の細腕にありたけの力をしぼって、押したり引いたりした。二日、三日、長い時間のはたらきの疲れ、私はめちゃくちゃにねむくてたまらず、われ知らずいねむりをした。束の間の少年の夢、恋人の女の子と遊ぼうとすれば、コツン!拳骨のひどい痛さに、びっくりして目がさめた。子供心にくやしく、なさけなく、且つやるせなく、しぶい目から熱い涙がこぼれた。いま思っても憎らしい、くろんぼのような顔にどんぐり眼をひからした奴!私をなぐった奴!
その日のかえり、晩方の月島の渡船の中で、見もしらぬ若いきれいな女が、暗いふなべりにしゃくり泣く少年の私をなだめすかして、菓子さえくれた。あの女、一体誰だろう?私を知っていたのだろうか、女は云った、自分の小さい弟にでも向うように。『お前どうしたの?おなかが痛いの? そうじゃないと云うの、それじゃ何をそう泣くの?何がそんなにかなしいのさ?妾に言ってごらん!』女は私の涙をふいてくれた、けれど私の涙は、女のハンケチをとおして、止めどもなく大川のひろびろしたくらい流れに落ちた。
流れの上を晩秋の冷たい靄が、河のねむりをさそうように罩めていた。その中に船頭らの焚く火が、水面のところどころをラヴの火の流れのように真赤にした。はるか港の方の、見えわかぬ靄の奥から、櫓の音が夢のように聞えて来た。私は泣くまいとした。船も私の心をなるたけ動かすまいとするように音も無くすべった。けれど船べりにおどる川浪がぽちゃぽちゃと、意地悪るい子供のように、絶えず私のかなしい心にからかった。私はそれをきくと一層熱い涙が一時にあふれ出した。
『もうおだまり!