野村 胡堂
銭形平次捕物控
一
その頃錢形平次は、兇賊木枯の傳次を追つて、東海道を駿府へ、名古屋へ、京へと、揉みに揉んで馳せ上つて一と月近くも留守。
明神下の家に、戀女房のお靜をたつた一人留守番さしては、鼠に引かれさうで心配でならないので、向柳原の八五郎の叔母さんに泊りに來てもらひ、その代り八五郎は、叔母さんの家にたつた一人。幸ひ寒さに向つて蛆も湧かず、無精でだらしがなくて、呑氣で贅澤な、男やもめ暮しをして居るのでした。
ところが何んと、錢形平次に追はれてゐる筈の木枯傳次は、平次が名古屋あたりへ行つた頃――つまり江戸を逃げ出して十日も經たないうちに、早くも立ち戻つて、平次のお膝元――神田明神下一角から、佐久間町、久右衞門町、八名川町と八五郎の御膝元なる向柳原一帶へかけて眞に落葉を吹きまくる木枯の如く荒し廻るのでした。