野村 胡堂

銭形平次捕物控

一

その頃の不忍の池は、月雪花の名所で、江戸の一角の別天地として知られました。池の端に軒を連ねた出逢茶屋は戯作、川柳にその繁昌を傳へる江戸人の情痴の舞臺ですが、池のほとりを少し西へ取つて茅町一丁目、二丁目へかけては一流の大町人、大藩の留守居など、金を石つころほどにも思はぬ人達の寮や妾宅など、不氣味な靜けさと、目に餘る贅澤さで、町家に立ちまじつて五軒十軒と數へられます。

その寮の中でも、湯島寄りに建つてゐるひときは目立つた構へは、横山町の金物問屋鹿野屋文五郎の控家で、そこに主人の文五郎は、女房のお八尾、その弟の駒吉の外に、二人の妾お關、お吉とともに、同じ屋根の下に、豪勢で、不倫で、贅澤で、惧るゝことを知らぬ暮しをしてゐるのでした。

その妾の一人、お關といふのが、自分の部屋、――池に面した二階の六疊で、自分の喉笛を掻き切つて死んでゐたのです。

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