中谷 宇吉郎
実験室の記憶
実験室の記憶というのは、追憶という意味ではなく、犬などの記憶というのと同じ意味で、実験室が記憶力をもっているという話なのである。
実験室が記憶力をもつなどというと、いかにも突飛な話のようである。しかし、実際に実験室の生活をした人には、その意味がわかるはずである。
一つの教室に属するいくつかの実験室には、指導者の風格などという高尚な話は別として、卑近な実験技術の知識がいつの間にか集積して来るものである。それはもちろん主としてその実験室に働く研究者の頭の中に蓄積して来るのであるが、教室員の頭脳の中ばかりでなく、実験室内の机とか細々した器械とかいうものにまで、いつの間にか浸みこんで来るような気がする。それは実験室に残る記憶といった方が、一番適切なものである。
もう十数年前のことであるが、ロンドンのキングスカレッジの地下室で、私はこの実験室の記憶というものを、しみじみ感じたことがある。英国の大学の物理研究室などというと、どこも皆立派な器械や装置が完備した大実験室と思う人があるかもしれないが、実際は日本の大学の実験室よりもずっと貧弱なものが多いのである。