北大路 魯山人
洗いづくりの美味さ
美味いさかな、それはなんと言っても、少数の例外は別として関西魚である。さかなによっては、紀州、四国、九州ももちろん瀬戸内海に同列するものである。伊勢湾あたりから漸時西方に向かい、瀬戸内海に入るに及んでは、誰しもなるほどと合点せざるを得ないまでに、段違いの美味さをもつことは、夙に天下の等しく認めるところで、関東魚はこの点、一言半句なく関西魚の前に頭を下げずにはいられない。しかし、例外の逸品にかかっては、またどうしようもないもので、これから七、八月ごろまでつづく東京近海もののピカ一、星がれいの洗いづくりの前には、関西のそれなど、とても及ぶものではない。私はめったに天下一品などと言おうとするものではないが、こればかりはどうしても天下一品と叫ばざるを得ないのである。
東京築地の魚河岸における朝の生簀には、その偉容、実に横綱玉錦といった風な面構えをもって、水底に悠然たる落着きを見せている。美味さ加減は大きさで四百匁くらいが上乗。ふつう行われる黒だいの洗いよりは少々厚目につくり、水洗いしたものを直ちに舌上に運べば、まさに夏中切っての天下第一の美肴として、誇るに足るものである。このかれい、なかなか大きく成長し、一貫目以上のものも決してめずらしくないが、味の上では問題にならない。
元来、洗いづくりは、生きた魚でなくては駄目なものである。ところが京の魚市場はもちろん大阪の市場にも、東京のそれのような生簀の設備がない。あっても不完全である。従って洗いづくりに事を欠き、洗いと言っては東京の独壇場の観がないではない。だが、東京とてもあの黒だいを紙のごとく薄く洗ったものなど、てんで問題にならないものもあ