北大路 魯山人
数の子は音を食うもの
お正月になると、大概の人は数の子を食う。私は正月でなくても、好物として、ふだんでもよろこんで食っている。なかなか美味いものだ。
さて、どんな味があるかと言われてもちょっと困るが、とにかく美味い。しかし、考えてみると、数の子を歯の上に載せてパチパチプツプツと噛む、あの音の響きがよい。もし数の子からこの音の響きを取り除けたら、到底あの美味はなかろう。
音が味を助けるとか、音響が味の重きをなしているものには、魚の卵などのほかに、海月、木耳、かき餅、煎餅、沢庵など。そのほか、音の響きがあるために美味いというものを数え上げたら切りがない。
もともとたべものは、舌の上の味わいばかりで美味いとしているのではない。シャキシャキして美味いもの、グミグミしていることが佳いもの、シコシコして美味いもの、ネチネチして良いもの、カリカリして善なるもの、グニャグニャして旨いもの、モチモチまたボクボクして可なるもの、ザラザラしていて旨いもの、ネバネバするのが良いもの、シャリシャリして美味いもの、コリコリしたもの、弾力があって美味いもの、弾力のないためにうまいもの、柔らかくて善いもの悪いもの、硬くて可いもの悪いもの……ざっと考えても、以上のように触覚がたべものの美味さ不味さの大部分を支配しているものである。そういう意味において、数の子も口中に魚卵の弾丸のように炸裂する交響楽によって、数の子の真味を発揮しているのである。それゆえ、歯のわるい人には、これほどつまらないものはないだろう。