北大路 魯山人
よい書とうまい書
古来世間でいう「うまい書」というものには、例えば夏の夕、裸であぐらをかいて、夕顔棚の下で涼しい顔をしているようなのがある。
それではまた、先輩諸君を前にして失礼でございますが、また実学上のことを話さしていただきます。
今日、字のことは、相変らずうまいとか、まずいとかいうことで済んでしまっておるようでありますが、前に申し上げましたように、うまいとか、まずいとかいう事はなかなか簡単に片付けられるようなものではありません。ただ、うまいといった所で、うまいのはどうだとか、まずいのはどうだとかいう意義が詳しく得心の行くように分って来なければならないと思うのであります。うまい書は夕顔棚の下で涼しい顔をしておるような、呑気に、洒々として書いておるようなのがございます。例えば、江月和尚のごとき、原伯茶宗のごとき、あるいは、一茶の書なんぞは、そんなことをいって宜しいと思います。
かと思うと、同じ能書でありながら、容姿端麗そのもののようなものもある。