山之口 貘
暴風への郷愁
郷里の沖縄から、上京したのは大正十一年の秋のことであったがその年の冬に、はじめて、ぼくは雪を見た。本郷台町の下宿屋の二階で、部屋の障子を開けっ放して、中庭に降りつもる雪の白さを、飽かずにながめたことを記憶している。南方生れのぼくは、はじめて見る雪のながめに、つい寒さも忘れて『忠臣蔵』をおもい出していたのであった。その後、同郷出身の友人たちに、きいてみると、雪に対するぼくらの第一印象は、誰もが『忠臣蔵』なのであった。ぼくらは、活動写真の忠臣蔵によってしか、雪を知っていなかったからなのである。いまではしかし、上京当時のことをおもい出さない限り、どんなに雪が降ったところで、忠臣蔵をおもい出すことはなくなってしまったのである。
それから、まもなくのこと、東京というところは、ものごとをバカに、大げさにいうところだとおもった。風が吹くと『暴風』だというので、ぼくなどにはそれがこっけいに感じられたのであった。
しかし、それが結局は、暴風の名産地である沖縄に生れたところのぼくの東京観なのであって、東京あたりでは、十メートル、二十メートルの風速を『暴風』にしておかないと、暴風と名づけられるような、暴風らしい暴風などないからなのだということがわかったのである。
事実、沖縄の暴風は、ものすごいもので、五十メートル、六十メートルの奴が吹きまくった。それが、半日や一日ではないのだ。人々は、三日も四日も家屋に閉じこめられていなければならないのである。ぼくの少年のころ、那覇のまんなかにあった大きながじまるの木が、暴風に抵抗できなくなって、その幹のところから折れてしまったことなどあったが、そのがじまるの木は、