吉川 英治
折々の記
世の“名ヅケ子”
子が生まれる。子の命名が夫婦話題の悶着になる。いや、生まれない前からといつてよい。最初の子をもつ夫婦ほど、事は重大に考へられるらしい。思案にあぐねて、知己先輩へ「ひとつ、子どもの名を」と、世の幸福者に選ばれた人間のやうに、相好くづして、もちこんで來る良人もある。
ぼくなども、頼まれてはつい、世の幾十人もの、あかン坊たちのために、名づけ親となつて來た。うれしい煩瑣と輕い責任を感じるものである。戰前、ある婦人雜誌では、あかン坊の命名サービス欄を設け、各界の名士を名づけ親係りに依囑し、讀者の好評をはくしたこともあつた。菊池寛などもそのひとりだつたが「ぼくは人にやらせておくよ」と、この課題では代作を公言し、そして「誰かにたくさん書かせておいて、その中にいゝ名があつたら、小説の中の人物につかふために、ぼく、取つておくよ」と笑つてゐた。命名なんていふ“聖なる仕事”を大量生産にすれば、かうなるのは當然である。
個人同士のばあひは違ふ。多少の祝福感と責任の分け合ひを、ぼくは感じる。ぼくのばあひは、色紙を一枚ふんぱつして、選名の文字と、誕生の年月日に、祝ひの言葉を二、三行書いて上げるのを例としてきた。