正宗 白鳥
幼少の思ひ出
今から二十年あまりも前の事である。ロンドンからエデインボロウに向ひ、グラスゴーだのリバプールだのを経て、ロンドンへ帰るまでに、沙翁の故郷であつたストラツトフオード・オン・エボンへ立ち寄ることにした。途中の田舎町で、汽車の乗り換へを間違へたりして、まごまごしてゐた。それで、田舎の停車場にゐた学校帰りらしい数人の女学生に、ストラツトフオードへ行くには、どの汽車に乗つたらいゝかと訊くと、「それは今度此処を出る汽車に乗つて、一度乗り換へねばならぬ。」と、一人の女学生が答へて、「何とかさん。」と、仲間の一人を呼んで、「あなたは其方へ帰るのだから、この方に乗り換へを教へて上げなさい。」と云つたやうであつた。その女学生は同意したらしかつた。それで、そちら行きの汽車が来ると、私達夫妻を促してその汽車に乗らせて、自分も乗ることは乗つたが、私達の隣りの車室へ入つて行つた。そして、乗り換へ場所へ来ると、早くプラツトホームへ下りて、私達の下りて行くのを待つて、ストラツトフオード行の汽車を教へて、左様ならの挨拶をして別れた。
これだけの事でも、私達には外国旅行の面白さが感ぜられたのであつた。かの少女は、東洋の黄色人種と座席を共にするのを嫌つてゐたのであつた。極りを悪がつてゐたのであつた。
目差したストラツトフオードに着いたのは、九時頃であつたが、七月はじめの、日の長い季節であつたので、あたりはまだ薄明るかつた。下車客は、私達の外には、中年の女性一人であつた。私はその人に教へられて、シエークスピアハウスとか云ふ宿屋へ入つた。其処には、幾つかの部屋々々に、シエークスピアの作品に取材した壁画が描かれてゐたやう