徳田 秋声

折鞄

融は何時からかポオトフオリオを一つ欲しいと思つてゐた。会社員とか雑誌新聞記者とか、又は医者のやうに、別段それが大して必要と云ふほどのことはなかつたけれど、しかし其があると便利だと思はれる場合が時々あつた。一日の汽車旅行とか、近いところへ二三日物を書きに出る場合とか、でなくて長い旅でもこま/\した手廻のものを仕舞つておいて、手軽に出し入れのできる入れものが一つ有つた方が便利であつた。煙草、マツチ、薬、紙、ノオト、頼信紙、万年筆、雑誌、小さな書冊、そんなやうな種類のものは、その全部でなくても、ちよつと出るにも洋服の場合は、ポケツト、和服の場合は袂や懐ろに入れておけないことはなかつたけれど、矢張何か入れ物に取纏めておく方が都合が好かつた。しかしもと/\事務的に出来てゐるポオトフオリオが、事務家とも遊民ともつかない老年の彼にふさふか何うか考へものであつた。融は時々手提の袋などを買つて、その当座二三度持つて歩いて悦んでゐたこともあつたが、何だかぢぢむさい気がして、いつでも棄てつぽかしてしまつた。

「何うだらうポオトフオリオを一つ買はうかな。」

融は子供や妻と町を散歩したり、買いものに出た場合などに、鞄屋の店頭や飾店の前に善く立停つて言つたものであつた。勿論それは実用品といひ条、彼に取つては人のもつものを、ちよつと玩具に持つて見たい程度の、小供らしい慾望でもあつた。

「お父さんには少し可笑しいな。」子供は言ふのであつた。

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