樋口 一葉
ゆく雲
記者曰、一葉女史樋口夏子の君は明治五年をもて東京に生まれ、久しく中島歌子女史を師として今尚歌文を學ばる※(二の字点、1-2-22)傍、武藏野、都の花、文學界等の諸雜誌に新作小説多く見えぬ、
(上)
酒折の宮、山梨の岡、鹽山、裂石、さし手の名も都人の耳に聞きなれぬは、小佛さゝ子の難處を越して猿橋のながれに眩めき、鶴瀬、駒飼見るほどの里もなきに、勝沼の町とても東京にての塲末ぞかし、甲府は流石に大厦高樓、躑躅が崎の城跡など見る處のありとは言へど、汽車の便りよき頃にならば知らず、こと更の馬車腕車に一晝夜をゆられて、いざ惠林寺の櫻見にといふ人はあるまじ、故郷なればこそ年々の夏休みにも、人は箱根伊香保ともよふし立つる中を、我れのみ一人あし曳の山の甲斐に峯のしら雲あとを消すこと左りとは是非もなけれど、今歳この度みやこを離れて八王子に足をむける事これまでに覺えなき愁らさなり。
養父清左衞門、去歳より何處※(「研のつくり」、第3水準1-84-17)處からだに申分ありて寐つ起きつとの由は聞きしが、常日頃すこやかの人なれば、さしての事はあるまじと醫者の指圖などを申やりて、此身は雲井の鳥の羽がひ自由なる書生の境界に今しばしは遊ばるゝ心なりしを、先きの日故郷よりの便りに曰く、大旦那さまこと其後の容躰さしたる事は御座なく候へ共、次第に短氣のまさりて我意つよく、これ一つは年の故には御座候はんなれど、隨分あたりの者御機げんの取りにくゝ、大心配を致すよし、私など古狸の身なれば兎角つくろひて一日二日と過し候へ共、筋のなきわからずやを仰せいだされ、足もとから鳥の立つやうにお急きたてなさるには大閉口に候、此中より頻に