嘉村 礒多

故郷に帰りゆくこころ

秋になつて来ると、何がなし故郷がなつかしまれる。村はづれの深山の紅葉とか、それから全体として山や水やを恋するやうな心持が頻りに強く動く。

周防の方に私の故郷の村がある。隣村は長門の国になつてゐて、そこに、長門峡、といふ奇勝がある。なんでもA川の上流が、七八里余り渓山の間を流れつづいて、べつだん村落が展けるでもなく、両岸には蒼潤の山が迫り、怪石奇巌駢び立つて、はげしい曲折の水が流れては急渓、湛へては深潭――といつた具合で、田山先生も曾遊の地らしく、耶馬渓などおよびもつかない、真に天下の絶景であると言つてゐられた。

その入口から二里くらゐ入つたところに雪舟の山荘の跡とつたへらるるところがある。そこらは川幅も広く、瑠璃一碧の水に山色を映して、ほんたうに高爽脱塵の境である。

私は秋になると、毎年、紅葉を見にそこへ行つた。何百年もの昔、旅の画家が、雨の降るとき、日の照るとき、くらくなるとき、あかるいとき、この山この水に対して、朝夕画道に専念したのであらうか? 徹底印象派ともいふべき雪舟の作品が、その取材の多くを支那の山水に求めてゐることは言ふまでもないが、この長門峡にも亦ひそかに負うてゐるのではないかしら。私は折があつたら専門の方に問うて見たいと思つてゐる。

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