牧野 富太郎
牧野富太郎自叙伝
幼年期
土佐の国、高岡郡佐川町、この町は高知から西へ七里隔ったところにあり、その周囲は山で囲まれ、その間にずっと田が連り、春日川という川が流れている。この川の側にあるのが佐川町である。南は山を負った町になり、北は開いた田になっている。人口は五千位の小さい町である。この佐川からは色々な人物が輩出した。現代の人では田中光顕・土方寧・古沢滋(迂郎が元の名)・片岡利和・土居香国・井原昂等の名を挙げる事ができる。古いところは色々の儒者があり、勤王家があった。この佐川町から多くの儒者が出たのは、ここに名教館という儒学つまり漢学を教える学校があり、古くから教育をやっていたためである。佐川には儒者が多く出たので「佐川山分学者あり」と人がよくいったものである。山分とは土地の言葉で山が沢山あるところの意である。
佐川の町は山内家特待の家老――深尾家の領地で、それがこの町の主権者であった。
明治の代になり、文明開化の世になると学校も前とは組織も変わり、後にはそこで科学・文学を教えるようになった。そうなったのが明治五、六年の頃であった。