長谷川 伸

討たせてやらぬ敵討

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寛永十六年四月十六日の早朝。陸奥国会津四十万石加藤式部少輔明成の家士、弓削田宮内は若松城の南の方で、突然起った轟音にすわと、押っ取り刀で小屋の外へ飛び出した。この日宮内は頭痛がひどいので、小屋に引き籠って養生していたのである。

宮内は骨細い生れつきで、襟首のあたりは女かと思うばかり、和かい線をしていた。見るからに弱々しいのは姿ばかりではなく、実際に非力であった。島原の切支丹退治があって、血腥い噂が伝わったのは昨年のことである。大坂落城以来二十年余の今日では、天下泰平を誰しも望んではいたが、油断の出来る時節にはなっていなかった、それだけに一朝事ある場合に、優しい姿の宮内では、とても役にたつまいと軽しめられていた、宮内はそうした批評が、自分に下されていることを、勿論覚っていた。しかし、武芸に長所を持たぬ上に、非力である自分の体を、どうすることも出来なかった。

押っ取り刀を宮内は、腰にさしながら小屋の外で、天地に轟いた、今の音が、起ったらしく思われる南山の空を仰いだ、と直ぐ眼についたのは、脅かされて群れ乱れた夥しい禽であった、緑につつまれた山も野もすてて、怖れ怯えて青空に彼等は狂っていた。宮内は南の空から東へ、それから北へ西へと眼を配った、脅かされて立った禽は、若松城の外曲輪十六門のうち南町口から南の方だけであった。その南の今の若松市外門田村の一部、その頃はひと口に中野といった。その見当らしく思われた。

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