中原 中也

山間秘話

※(ローマ数字1、1-13-21) 牝狐と牡兎

春であつた。牡兎の血の環りはよくなつてゐた。勇ましくはないまでも、しやきしやきしてゐた。一日兎は森に這入つて行つた、牝狐を訪ねる算段で。彼が森の径を巡つてゐる時、牝狐は家で囲炉裡にあたつてゐた。仔狐達は窓の近くで遊んでゐた。牡兎が森の方からやつてくるのを見付けると牝狐は、急いで子供達に云つた、「何時もの彼が来たらば、私は家にゐないとお云ひ。あれは私を誘き出す悪魔なんだからね! あのお馬鹿に来て欲しかつたのはもうずつと前のことだよ。今ではどうにかして殺してやりたいくらゐなんだから。」さう云つて彼女は家の奥に匿れた。牡兎はやつて来て扉を叩く。「どなたです? と仔狐達は云ふ。――私ですよ、と訪問客が答へる、おはやう! おつ母さんはお家かね?――いいえ、ゐません!――困つたな! 私は用事があつて来たのに……ゐないなんて!」そこで牡兎が再び森の方に跳び返つた。

牝狐は一伍一什を聞いてゐた。「ああ! 犬つころの悪魔の杓子野郎が、と彼女はわめいた。もう一寸待つがいい、この図々しい奴、おまへの恥知らずに意趣返しせずになんぞゐられるものか!」彼女は囲炉裡の所から扉の陰に行つて、そこで見張りをしはじめた、兎はもう一ぺん引返すだらうと思ひながら。事実兎は遅からず引返して来た。「おはやう、坊達、おつ母さんはお家かね? すると仔狐達は――いいえ、ゐません!――困つたものだ、と兎は答へる、何時ものやうに、私はおつ母さんに御馳走しようと思つて来たんだが!」その時牝狐は顔を出した、「今日は、親愛な方!」牡兎は跳んで逃げた、泥をはねかしながら息の切れる程走つて去つ

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