モース エドワード・シルヴェスター
日本その日その日
序――モース先生石川千代松
一八八七年の春英国で科学の学会があった。此時ワイスマン先生も夫れへ出席せられ、学会から帰られた時私に「モースからお前に宜しく云うて呉れとの伝言を頼まれたが彼れは実に面白い人で、宴会のテーブルスピーチでは満場の者を笑わせた。」夫れから後其年の十一月だと思ったが、先生がフライブルグに来られた事がある。其時折悪くワイスマン先生と私とはボーデンセイへ研究旅行へ行って留守であった。であったのでウィダーシャイム先生が先生を馬車に載せて市の内外をドライブした処カイザー・ストラーセに来ると、モース先生が、「アノ家の屋根瓦は千年以上前のローマ時代のものだ。ヤレ彼処にも、此処にも」と指されたので、ウィダーシャイム先生も始めて夫れに気付き、後考古学者に話して調べた処、夫れが全て事実であったと、ウィダーシャイム先生もモース先生の眼の鋭い事には驚いて居られた。先生の観察力の強い事では此外幾等も知れて居るが、先生はローウェルの天文台で火星を望遠鏡で覘いて其地図を画かれたが、夫れをローウェルが前に研究して画いたものと比べて見た処先生の方が余程委しい処迄出来て居たので、ローウェルも驚いたとの事を聴いて居た。夫れで先生は火星の本を書かれた。処が此本が評判になって、先生はイタリア其他二、三の天文学会の会員に選ばれたのである。私が一九〇九年にセーラムで先生の御宅へ伺った時先生は私に Mars and its Mystery を一部下さって云われるのに、お前が此本を持って帰ってモースがマースの本を書いたと云うたらば、日本の私の友達はモースは気が狂ったと云うだろうが、自分は気が狂って居ない証