吉川 英治

篝火の女

朱い横笛

箱根山脈の駒や足高や乙女には、まだ雪の襞が白く走っていた。そこから研ぎ颪されて来る風は春とも思えない針の冷たさを含んでいる。然し、伊豆の海の暖潮を抱いている山陰や、侍小路の土塀のうえには、柑橘の実が真っ黄いろに熟れていて、やはりここは赤城や榛名の吹きおろしに曝されている上州平野よりは、遙かに気候にめぐまれているなと、石田大七は何事につけてもすぐ自分の国土と比較して考えずにいられないのであった。

畑をみれば、まだ、上州あたりでは冬草も除れてないのに、この相州では、麦が三寸も伸びている。土民の家をのぞいても豊らしく見えるし、往来人の風采をながめても文化の差がわかる程、ここは、上州よりもずっと都会色が濃いのであった。

『さすがに、北条早雲以来三代を経た関東一の覇府だ――』

青空文庫の作品カード