野村 胡堂

奇談クラブ〔戦後版〕

プロローグ

奇談クラブの席上、その晩の話し手天野久左衛門は、こんな調子で始めました。

「これは実に今日の常識や道徳から見れば不可思議極まる事件だが、芸術至上主義に対する、一つの反逆でもあると思います。筋にはなんの誇張もなく、全く切れば血の出るような本当の話ですが、この話の中から、興味以上のものを汲みとって下されば、私の満足はこの上もありません」

そういい乍ら、天野久左衛門は、五本の指を櫛にして、乱れかかる前額の髪を掻き上げます。名前は昔の武者修業のように古風ですが、本人は七つ下りの茶色の背広に、ボヘミアン襟飾をした、芸術家らしい青年です。

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