野村 胡堂
奇談クラブ〔戦後版〕
プロローグ
その夜の話し手遠藤盛近は、山羊※(「髟/(冂<はみ出た横棒二本)」、第4水準2-93-20)の萎びた中老人で、羊羹色になった背広の、カフスから飛出すシャツを気にし乍ら、老眼鏡の玉を五分間に一度位ずつの割りで拭き拭き、見掛けに依らぬ良いバリトンで、こう話し始めました。
「私の話はさしたる奇談ではありませんが、旧式の道徳観からすれば少しく途方も無いのです。旧い秩序と常識を尊ぶ方々からは、甚だ喜ばれないかも知れず、これだけの資料はあり乍ら、旧制度の日本では、発表の出来なかった筋で、よい歳をした私が、壇の上に立って申上げるのは、聊か照臭い話ではありますが――批判は皆様にお任せするとして、兎にも角にも御披露申上げたいと思うのであります」
訥々たる調子ですが、思いの外の雄弁で、妙に聴く者の好奇心を焦立たせます。