野村 胡堂
奇談クラブ〔戦後版〕
プロローグ
「痴人夢を説くという言葉がありますが、人生に夢が無かったら、我々の生活は何と果敢なく侘しく、荒まじきものでしょう。夢あればこそ我々はあらゆる疾苦と不平と懊悩にも堪えて、兎にも角にも何万日という――考えただけでも身顫いを感ずるような、恐ろしい生活を続けて行くのです」
それは吉井明子夫人の美しさと聡明さに吸い寄せられた、限りなき猟奇探究者達の集りなる、「奇談クラブ」の席上でした。今宵の話手に選ばれた桃川燕之助は、五分刈頭にホームスパンのダブダブの洋服、ボヘミアン襟飾に、穴のあいた紺足袋、藁草履という世にも不思議な風采を壇上に運んで、斯う云った調子で始めたのでした。
まだ三十を幾つも越しては居ないでしょう。科学者で歌よみで、ちょいと好い男で、そしてなかなかの弁舌家でもあります。