平野 零児
秋場所から
仕事に忙しい尾崎士郎君だが、東京場所で、蔵前国技館に、ヤグラ太鼓が鳴り響いている間の、十五日間は、完全に書斎を離れて土俵の脇で過ごさないではいられない人物である。
彼が初めて相撲を見たのは、大正九年で、たまたま相撲史上の名勝負の一つに数えられる栃木山(現春日野)と朝汐(先代の高砂)との一番を見「力の調和というものが、こんなに美しいものであるかを知らなかった」といっている。無論彼は、花相撲はそれまでに、七つ八つのころから見てはいる。
私とは一つ違いの年齢だから、私も幼年のころ門司にいて、梅ヶ谷や常陸山の全盛時代の相撲を見、父から錦絵を買ってもらった記憶があるから、ほぼ同時代に、彼は郷里の三河辺の花相撲を見ているわけである。
私はその後は新聞記者時代に数年間、主として大阪浜寺の学生相撲の記事を書くために土俵に近づいた以外は、元の両国の国技館にも一、二度しか入ったことがない。これに反して尾崎君は、文壇でも屈指の相撲ファンであり、通であり、現に横綱審議会委員であるくらいの相撲を語っては「当代随一」のきわめつきである。